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自転車キャラバン隊の日記


■9月16 前夜
いよいよ明日から、浜岡―東海村自転車キャラバンがスタートする。今夜は浜岡原発のすぐそばで暮らす皆さんから、熱い想いを受け取った。海産物も農産物も豊かだった浜岡。原発の補助金と引き替えに多くの豊かさを失った。何より原発を止めようと動いたら、たくさんの友達を失なった。切ない。
家の周りを監視の車がウロウロし、電話が盗聴される。東海地震によって浜岡原発が事故を起こす。決して御前崎市に住む方々だけの問題ではない。原発震災となれば、命を失うのは風下に住む数百万。今こそ風下から声をあげねば!と改めて奮起した。 (隊長)

 

■9月17 出発
浜岡原発前を9時に出発。さわやかな快晴。見送って下さった皆さんの想いを胸にペダルに足をかける。途中、寄れる限りの市役所には全て立ち寄り、市長に要請書、議長に陳情書を提出しながら移動していく。
風の流れるであろう方向に。御前崎市、相良町、榛原町、吉田町、大井川町、焼津市、静岡市。静岡県庁で記者会見の後、夕方の静岡市内の署名活動には20名が参加して盛り上げて下さいました。感謝! (隊長)

■9月18 静岡→富士

くもり空。風がさわやかで気持ちいい。静岡市内で昨晩行なった署名活動には20名が参加してくれた。信号待ちの間、立ち止まってたくさんの方が署名に協力してくれる。中には走って駆け寄ってきて声援を送ってくれる人もいる。

この問題を自分の問題と考える静岡県民が増えてきているのを実感した。清水港を通って由井で海風を感じながら昼食は富士川楽座で。

ここは東名高速のサービスエリアにもなっていて大勢の家族連れでにぎわう。あいにく富士山の姿にはお目にかかれなかったが、無事に富士に到着。市内をくまなく走ってピーアールした。

■9月19 富士→三島

快晴。三島までは距離的にはかなり短い。浜岡からの風が上陸するであろう沼津の海岸線をじっくり時間をかけて移動し、午後は三島市内での市民の集まり、『原発震災を防ぐ風下の会』と合流した。

4ヵ月前に三島市内で行なわれた石橋克彦教授(東海地震説提唱者)の講演会をきっかけに立ち上がったこの会には、老若男女いろんな人が集まって活気あふれている。

デパートの近くで署名活動。反応はまずまず。ひとたび原発震災発生となれば、風下地域になるため人が住めなくなると言われる静岡県東部地域。危機感は高まる一方だ。(隊長)

■9月21日(火)快晴
今日は、小田原〜鎌倉間を走りながら、途中の市役所に立ち寄って文書を提出していく。自転車は午前中は二人だけ。約束の時間に到着するため多々爆走。

熱心に話を聞いてくれる所、文書をただ受け取るだけの所、市によって担当の人によって反応はさまざま。

『原発震災の危険性は知っているが、行政の立場では言い出しにくい。市民から声を上げて欲しい。』とある市役所の助役から言われる。原発震災が起こった時のリスクの大きさをわかっているのに、思っていることを発言できない体制に疑問を感じた。

でも、今の自分の立場だからこそできることってあると思う。無理せずできることから始めていけばいいと思う。だから私は自転車キャラバン隊の自転車部隊隊員としてひたすら走る。これが今の私にできること。(隊員:小川昌美)


■9月22日(水)快晴
港には大きな艦船が止まっている。空には戦闘機が飛んでいる。米軍基地があり、銃を持った門兵がいる。民家の近くで核燃料加工工場GNFが運転している。

私にとっては見慣れない光景。でもこれが横須賀の当たり前の光景。市内の防災センターへ行く。防災課の課長から横須賀市の取り組みを聞く。”原子力防災のしおり”と題した放射線の基礎知識などが書かれたパンフレットが置かれている。ヨウ素剤も用意されているそうだ。

そして市内8ヶ所に放射線計測器が設置されているなど、すでに在る燃料施設、そして起こる可能性のある放射能災害。

この事実を受け止め、放射能に対して緊張感を持って接しているのを感じた。『横浜市長室を訪問する時間に間に合わない!』そしてこのあと、この日もまた自転車は爆走することになったのでした。(隊員:小川昌美)


■9月23日(木)晴れ
横浜を出発して一路東京タワーを目指す。東京タワーでおのぼりさん丸出しで昼食をとったあと、六本木ヒルズ、さらに渋谷ハチ公前目指して元気に出発。

一つ目の交差点で直進を余儀なくされ、出鼻をくじかれるハメに!突然現れた道路封鎖の蛇腹ゲートの周りで警官隊がそわそわしている。我々を『過激な団体』と見たのか集まってくる警官隊。

信号と顔色が青に変わり、機動隊バスまでが移動してくる。前進する我々、閉められる蛇腹ゲート。話してみれば、韓国大使館の周りで警戒態勢を敷いているらしい。どうやら我々は『過激な団体』と間違われたらしい。

事無きを得て「ほっと」するのもつかの間、警官隊に熱く見送られ再出発する。六本木ヒルズを通過、目指すは渋谷駅ハチ公前。老若男女が集う渋谷ハチ公前に陣取り、横断幕を広げる。署名を始めると案外集まる。

「さすが多様性を認める町」と思う一方、ついに一線を越えてしまった感じは否めなかった。帰り際、本売りのおばちゃんから差し入れがあった。我々が、ただ叫んでいる団体ではないことが認められた気がした。ありがとうおばちゃん!!(隊員:岸カン)


■9月24日(金)曇り
本日の運勢を占うかの様な曇り空、上野駅発―国会議事堂前、自転車下車。さすがに警備がきつい。

ちょっとハデな車で、人を迎えに来ただけなのに、警察官に職務質問を受ける始末。気を取り直し銀座に!と思ったら、私の自転車のペダルが落ちる。もう一台もタイヤに異常が・・・朝から運が悪い。

中央区区役所に書類を提出。時計はすでに12時半。あちこち渋滞でまだ本日はほとんど何も出来ていない。基本的に都内は自転車の方が早い。

ここから一人だけ別動で区役所を自転車で周ることになり、本隊は新宿区役所を目指す。自転車を直し、台東区、文京区、千代田区の役所をまわり終える。都庁で記者会見が始まるところに、やっとの思いで合流滑り込みセーフ!

集まった記者は・・・たったの3人。役所のもてなしとは別に、マスコミの原発タブーにより体力の報われない一日だった。(隊員:岸カン)


■9月26日(日)曇り時々どしゃ降り
土浦から一路北上。天気は薄曇り。今にも雨になりそうな気配だ。かなりの移動距離なので先発部隊を結成。

石岡駅に寄る部隊と二手に別れた。石岡駅で思いがけず大歓迎を受けた。航空ショーに集まった数千人が駅前でバス待ちの行列を作っていたのだ。勢い署名への協力を呼びかけた。

その後、JCOを目指しひた走る。先発部隊と合流できたのは、東海村に入る直前だった。ようやく目的地JCOにたどり着いた時には、どしゃぶりだった。臨界事故の名残りは周辺からは感じられない。普通に人が住んでいる。ここが一時無人の街なったとはとても想像できない。(つづく)