東海地震最高権威 元地震予知連会長が怒りの告発
「サンデー毎日」2004年2月29日号掲載


日本の地震学界を代表する重鎮が「国策」である原子力発電に「NO」を突きつけた。巨大地震の恐ろしさや科学技術の不確実性を知り尽くしているだけに、危険エリアで原子炉を動かし続ける電力会社や認可した国への批判は痛烈を極める。これは"事件"だ。

『浜岡原発は即刻停止せよ』
「これは、世界のどの国家も試みたことのない壮大な人体実験です。唯一の被爆国であり、原子力の恐ろしさを身に染みて知っているはずの日本人が、なぜそんな愚挙に手をそめねばならないのでしょうか・・・。 」

■茂木清夫氏……74歳。東京大学名誉教授にして地震学の権威。

東大地震研究所所長、地震予知連絡会会長を歴任するとともに、東海地震の発生の可能性を判断する国の地震防災対策強化地域判定会(略して東海地震判定会)の会長を1991年から5年間務めた。

 東海地震とは、1854年の安政東海地震以来、150年間も地下でひずみをため続ける駿河湾・遠州灘付近を震源に「いつ起きてもおかしくない」とされるマグニチュード8級の大地震を指す(別図あり)。

その想定震源域のほぼ中央に、茂木氏が「愚挙」と呼ぶ巨大施設がある。この瞬間もうなりを上げて稼動している中部電力浜岡原子力発電所(静岡県浜岡町)である。

「原発の数や発電量でいえば、日本は米国、フランスに次いで世界第3位、続いてロシア、ドイツの順です。が、日本以外の国は地震のない安定した大陸に位置している。実際、過去100年間に起きたM7以上の震源の浅い、すなわち都市に大被害を与える地震の分布図と重ね合わせると、地震マークで埋め尽くされるほど不安定な地盤にありながら、なおかつこんなに原発が集中している国は世界で唯一、日本だけです。
しかも、よりによって巨大地震の発生が最も懸念されているところに原発を設置するなんて、世界の常識からすれば異常と言うほかありません。『米国でも地震は起きているだろう』という声もあるが、それは西部の話。ほとんどの原発は安定した中部、東部にあり、西部でも慎重に断層を避けている」

 ここで我々の脳裏をよぎるのは、1979年米国でのスリーマイル島原発事故や86年、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故だ。とはいえ、日本の技術力は世界に冠たるレベルのはず――そんな幻想を茂木氏は打ち砕く。

「立地だけでなく、原発そのものの耐震性にも疑問があります。例えば、原子力施設の耐震設計審査指針は、上下方向の地震力を水平方向の2分の1として設計するよう求めていますが、阪神大震災などいくつもの地震で、震源に近い地表の直径数十センチもある石が宙に跳ね上がったことが確認されています。石が飛ぶということは上下方向に約1000ガル以上(1ガルは毎秒1センチの加速度で、阪神大震災では818ガルを観測)の加速度があったことを意味し、2分の1どころか、水平方向の地震力にも匹敵する大きな振動もありうることが分かってきた。

 しかし、初期の設計である1号機と2号機は、この上下方向の耐震性については十分に検討されていないはずです。このように、これまで測定器の不備などで見えなかった地震の性質が次々と明らかになっている。

 また、中部電力は大型実験装置で安全性を確認していると説明しますが、原発は精密装置の複合体であり、耐震性の評価は難しい。現代人には未知の地震を、現在とは微妙に異なる条件で再現しても、安全証明にはなりえないのです。
 日本では、大地震のたびに予想外に大きな被害が出て、耐震基準の見直しを迫られるという歴史をたどってきたことは、防災や地震に携わる者なら誰でも知っています。

そもそも事態が想定通りに起きてくれるなら、そして日本の技術力が欧米諸国より優れているなら、阪神大震災で高速道路が倒れることも、95年の高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ火災事故も、度重なるロケット打ち上げ失敗もなかったでしょう。

 まだしも道路や家屋なら耐震基準を見直して「次」に備えるのは意味があるが、原発震災に「次」はない。チェルノブイリのような事態が起きれば、日本の主要都市は高濃度の放射性物質に汚染され、取り返しがつかない。「想定外でした」では済まない以上、最悪のケースを前提に事を決するべきです。」

 意見を聞こうとしない電力会社

  実際、浜岡でも01年11月、1号機で世界的にも例のない配管爆発・破断などの深刻な事故が相次ぎ、その後の定期点検でもひび割れなどが見つかったため、同機は現在も停止したままだ。
 一方、東海地域では地殻が通常とは逆方向で滑るスロースリップ現象が4年前から続いており、東海地震の前兆か――と緊張が高まっている。

「いったいなぜ、こんな場所に原発を造ったのか。
『当時は東海地震の危険性が知られていなかった』という弁明は通りません。なぜなら、私が東大地震研究所の月例談話会で「東海地方でM8級の大地震の可能性がある」と日本で最初に指摘し、それが地震予知連絡会経由で発表され、全国紙の『毎日』や『朝日』、NHKや民放各局、週刊誌などで大きく報じられたのは、中部電力が浜岡原発1号機の設置を申請する6ヶ月も前、1969年11月のことだったからです。

それだけではありません。地震予知連は翌70年2月、M8級地震の発生をにらんで東海地方を「特定観測地域」に指定。4年後には、さらに切迫度の高い「観測強化地域」に格上げし、ついに78年、大規模地震対策特別措置法の施行とともに、国として東海地震の予知・災害軽減対策に取り組むことになったのです。
 にもかかわらず、浜岡原発1号機は、70年5月の設置申請からわずか7ヶ月後に国の設置許可が下り、2号機も72年9月に申請、8ヶ月後には許可されるという拙速ぶりです。こんな短期間では、おそらく地盤の調査さえ満足に行われていないのではないか。」

 その後も浜岡原発は、87年に3号機、93年に4号機が運転開始と"順調"に規模を拡大。建設中の5号機もまもなく完成する。まるで東海地震の恐れなどない、と主張するかのように――

「東海地震の可能性を最初に指摘し、地震予知連で東海・首都圏を担当する強化地域部会長を務め、さらに東海地震判定会会長という職にもあったこの30年間、原発をあの場所に立地していいのか、そもそも東海地震とは何か――などについて中部電力や行政側から相談を受けたことはただの一度もありません。
 ようやく接触してきたのが、3年前の浜岡1号機・配管爆発事故の直後でした。新聞紙上で問題点を厳しく批判していた私のところに、部長級の社員ら2人がやってきて事故の報告をした。そのとき「なぜ一度も私の意見を求めなかったのか」と聞くと、「昔のことは分からないが、察するに茂木さんに会えば『あそこには原発はダメだ』と叱られるに決まっていたからではないか」と言う。
 こんな現実逃避の姿勢で何が「安全」ですか。あまりにも不まじめ、不勉強です。国の原発政策の有り様としてもおかしい。」

 8年前、東海地震の警報のあり方をめぐり、行政の腰の重さにしびれを切らして判定会会長を辞任した硬骨漢。その茂木氏が求めていた「注意情報」は今年、やっと実現した。時間は切迫しているが、「浜岡」についても発言し続けるしかないと覚悟しているようだ。

「繰り返しますが、原発がM8級の巨大地震に直撃されたことは、世界的にも一度もない。M7級でさえもありません。そして、仮定を積み重ねたシミュレーション通りに地震が起きる保証もありはしないのです。
 大災害を確実に回避するためには、浜岡原発を即刻止めるしかありません。それが実現するまで、私は訴え続けますよ。」
構成/本誌・平野幸治
(文字の色づけ、ポイントの加工は当ホームページ運営者山内によるもの)

■中部電力の見解
『安全性は確保している』
「 まず申し上げたいのは、浜岡原子力発電所が、国の中央防災会議が想定する東海地震に十分耐えられる設計になっているということです。想定東海地震はM8.0とされていますが、浜岡原発はさらに余裕を持たせて、あの地域では限界的なM8.5の地震に対しても安全性を確保しています。

 1号機、2号機が古いのは事実です。だからこそ、のちに設けられた耐震設計審査指針などにも合致しているかをチェックし、その結果「妥当である」との評価を国からいただいております。上下方向の耐震性についても同様です。
 立地に関しては、岩盤などの条件を詳細に調査するなどの手順は、しっかりと踏んでおります。当初、東海地震の問題が分かっていたかどうかについては議論があるようです。しかし、帰するところは、施設の地震対策が十分であるか否か、ではないでしょうか。

 想定外の事態も起こり得るという茂木先生のご見解ですが、中央防災会議が想定する東海地震も、この分野に精通された方々によって算出されたものです。過去のデータに基づいて得られた現時点での知見をもとに、最大限の考慮をする。そういう姿勢で臨んでいます。(広報部・大澤滋久氏)」